アブラハムの娘

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牧師 梁 在哲

 

ルカによる福音書13章10 ~17節

何人かの人が来て主イエスにこう告げた。「個人にとって不幸な出来事(13:1節)や災難(4節)と人間の罪はどのようなかかわりがあるのか」と。しかし、主イエスはその関連性を否定されて、むしろ「あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる」と(5節)、お答えになった。主イエスは罪の大小ではなくて悔い改めなければ、神の裁きのもとに置かれていることを言われた。そして「実のならないいちじくの木のたとえ」(9節)を用いられて神の忍耐はいつまでも保たれる訳ではないことをも戒められた。以前、主イエスは何度も安息日に病人を癒してくださった。それゆえ、律法学者や会堂長は怒り狂って、主イエスを何とかしようとした。しかし、主イエスは、あえて安息日に「18年間病の霊に取りつかれていた」ある女性を癒してくださり、罪の束縛から人々を解き放ってくださった。

主イエスは、アモス預言者の預言通り、「正義を洪水のように恵みの業を大河のように尽きることなく流れさせるように」(アモス5:24)、ご自分のお働きを急がれたのである。主イエスは「腰が曲がったまま、まともに主イエスのお顔さえ仰げない」(11節)、その女性を呼び寄せられ、「婦人よ、病気は治った」(12節)と言われて、「御手を伸ばされて按手をされた」(13節)。もう、あなたはその罪と病から解き放たれたと、主イエスは宣言されたのである。そして「この女はアブラハムの娘なのに18年もの間サタンに縛られていたのだ。安息日であってもその束縛から解いてやるべきではなかったのか。」(16節)と、言われた。主イエスは徴税人ザアカイの家をおたずねになった時も、「今日救いがこの家を訪れた。この人もアブハムの子なのだから。人の子は失われた者を捜して救うために来たのである。」(19910節)と言われた。

主イエスは18年間サタンの力に縛られていたその女性を「アブラハムの娘」と、高くあげられた。群れは皆、主イエスが言われたことを聞いてまた、数々の素晴らしい行ないを見てこぞって喜んだ。何故ならば、「婦人よ、病気は治った」と言われて、暗闇の束縛の鎖を打ち破られる主イエスの勝利のお声‐良いお知らせ‐を聞いたからではないだろうか。主イエスより偽善者たちよと、厳しく戒められた者には主イエスの良い知らせは、恥をかくような厳しいお声となるけれども、主イエスの良いお知らせを喜んで受け入れる者には、それは勝利のお声であり、福音となったのである。私たちは主イエスの勝利のお声に力づけられ、世の暗闇の力に勝る主イエスの福音を世に向かって宣べ伝えて行く、アブラハムの娘とアブラハムの子になりたいと願うのである。

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