御子によって語られる神

12月22日

牧師 梁 在哲

イザヤ書52章7~10節    ヘブライ人への手紙1章1~12節

神は預言者たちに幻を、ヤコブには夢を通して、またアブラハムとモーセには直接語られた。殊に、神は預言者イザヤの口を通してエルサレムの廃虚の地がバビロンの捕囚から解き放たれると、語られた。それゆえ、神がご自分の民を慰め始められる良い知らせにエルサレムは喜びと感激の歌を歌い始めると、イザヤは預言した(イザヤ52:7~12)。しかし、イスラエルの先祖は預言者を通して語られる神のお声に耳を傾けず、頑なな心のまま、聞く耳をも持たなかった。

そこで、神は、彼らが聞く耳を持たなくても、多くのかたちで、また多くのしかたで、彼らの心の耳に届かせようとして語り続けられた(ヘブライ1:1)。そして、この終りの時代には、父なる神は、御子イエスを通して語り始められた(ヘブライ1:2)。私たちを罪と死から救われるために御子イエスは、お生まれになった。その御子は、十字架につけられ、復活され、天に昇られ、御救いの御業を成し遂げられた。その終りの日は、既に始まったのである。

それゆえ、救い主イエス・キリストのご誕生を祝う、このクリスマスこそ、父なる神が、御子イエスによって私たちに語り始められた日ではないだろうか。御子イエス・キリストのご誕生を喜び祝うこのクリスマスの朝、私たちは御子を通して語り始められた父なる神のお声に耳を傾け、讃美と祈りの礼拝を通して答えつつ、この新しい一年の歩みを進みたいと願う。

前回 目次へ 次回