パン五つと魚二匹

2月23日の説教

牧師 梁 在哲

申命記8章1~6節   ヨハネによる福音書6章1~15節

主イエスはエルサレムでユダヤ人たちから拒まれ、再び北方のガリラヤ湖へ退かれた。主はご自分の後を追って来たおびただしい群衆に五つのパンと二匹の魚をもって生きる命を補ってくださった。主は目を上げ、大勢の群衆がご自分の方へ来るのを見て、フィリポに「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われた(5節)。フィリポは「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えた(7節)。

ところが、フィリポと同じ町、ベトサイダ出身のシモン・ペトロの兄弟アンデレが主に「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう」と言った(8~9節)。主は人々を座らせ、パンと魚を取り、感謝の祈りを唱えてから、座って人々に分け与えられ、満腹になるくらい、欲しいだけ分け与えられた(11節)。

フィリポのような理屈に偏り、慎重になっていた者にも、またアンデレのように自分の思いを貫き、行動力のある者にも、主のみ力が共におられる時、群衆は、満たされた。お一人のナザレのイエスは、「パン五つと魚二匹」を通してそこにいた全ての者の主となられ、全ての人を豊かにお恵みになられた(ローマ10:12)。

そこで、人々は主のなさった奇跡のしるしを見て「まさにこの人こそ、世に来られた預言者だ」と言い(14節)、主を王にするために連れて行こうとしたので、主はお一人で山に退かれた(15節)。主は人間が造り上げた偽りの冠を避けられ、退かれた。なぜなら、主は私たちに「永遠の命」を与えるために空しい冠を捨てて、十字架の道へ進まれたからである。灰の水曜日から始まる受難節の時、私たちは、主が進まれた十字架の道を改めて覚えつつ、聖霊の御助けによって私たちの内に悔い改めの心を新たに起こし、自分の十字架を背負う力を強めてくださるように切に願う。

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