その家族もこぞって信じた

7月12日の説教

梁在哲牧師

 

ホセア書14章2~8節     ヨハネによる福音書4章43~54節 

使徒パウロがピリッピで出会った紫布を商うリディアという婦人(使徒16:15)、牢屋の看守(使徒16:31~33)、またぺトロに出会ったイタリア隊百人隊長コルネリウス(使徒10:2)も皆、家族こぞって救われた。主イエスは、サマリアで二日間滞在され、町の多くの人々が主の言葉を聞いて信じた。預言者ホセアは、サマリアの回復と祝福を預言した(ホセア14:2-8)。「二日後、イエスは、サマリアを出発して、ガリラヤへ行かれた」(43節)。「イエスは自ら、『預言者は自分の故郷では敬まわれないものだ』(マタイ13:57)とはっきり言われたことがある」(44節)。ところが、ガリラヤの人たちは、主が過越祭にエルサレムで行なわれた奇蹟のしるしを全て見ていたので、イエスを歓迎したが(45節)、それはうわべだけのものであった。主はこの世のどこでも歓迎されず、歓迎どころか、蔑視と侮辱を受けられ十字架の苦しみを受けられた。主が再度ガリラヤのカナに行かれた時、その噂は近所の町にも広まった。カファルナウムにいる王の役人もカナの町にイエスが来られたと聞き、急遽イエスのもとに行った。

彼は、自分の息子が生死の岐路に立たされている緊迫の状況の中、30キロ以上離れていたカナまで駆けつけて来て、「カフアルナウムまで下って来て、息子を癒して下さるように頼んだ。息子が死にかかっていたからである」(47節)。そこで主は、役人に「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない。と言われた」(48節)。しかし、それはその役人より、全てのガリラヤの人々に向けられた主のお叱りの言葉であった。使徒パウロもコリントの教会の人々に、「あなたがたユダヤ人はしるしを求めギリシア人は知恵を探しているのだ」と言った(コリントⅠ1:22)。にもかかわらず、その役人は必死になってイエスにしがみついて願い続けて言った(49節)。彼は、ナザレのイエスこそ、自分の息子の命を助けてくださると堅く信じ、願い続けた。ここで主は、「『帰りなさい、あなたの息子は生きる』と言われ、彼は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った」(50節)。ついに彼は、サマリアの町の人々のようにしるしや不思議な業ではなく、主の言葉を聞いて信じる者となった。

彼は主の一言に素直に従い、歩いて7、8時間以上かかる、帰りの道を期待と不安な思いを抱き、帰路を急いでいた。どころが、彼は途中で自分を出迎えに来た僕たちに会い、自分の息子が生きていると告げられた(51節)。不思議なことに、息子の熱が下がり始めたのは、イエスが「帰りなさい。あなたの息子は生きる」と言われた丁度、その時であった(52節)。彼は、そのことに気づき、「彼もその家族もこぞって信じた(53節)。彼の身内は勿論、僕たちをも皆、イエスを信じるようになった。サマリアでは、奇蹟もなければ、しるしもなかったけれども、サマリアの女の証によって多くの人がイエスの言葉を聞き、救われた。主は、ガリラヤの人々にもしるしや不思議な業に目を奪われることなく、ただご自分より言われ言葉を聞いて信じるように願われた。丁度その時、その役人が現われたのである。今も主の救いの御業は、主ご自身言われる言葉通り良い時とやり方で成し遂げられる。

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