わたしは彼を起しに行く

10月11日の説教

梁在哲牧師

 

ダニエル書12章1~4節     ヨハネによる福音書11章1~16節

イエスは、地上の最後の時が迫って来る中で、昼間が12時間、確かに続くごとく、最後の勝利を確信し(ヨハネ9~10)、残されたご自分の使命を避けずに、「わたしたちの友、ラザロが眠っている。しかし、私は彼を起こしに行く」と言われた(11節)。イエスこそ、「私は彼を起こしに行く」と言われることがお出来になる。死の力を打ち破り、復活された主と、主の復活を信じ、自分の復活をも信じる者にとって、死は眠っていることに過ぎないからである。すると、トマスが恐れを追い退けるように、「私たちも行って、一緒に死のうではないか」と叫びだした(16節)。他の弟子たちも、なぜイエスが死なねばならないのか、その理由をよく分からないまま、精一杯イエスに従おうとした(ヨハネ13:37、ルカ22:33)。

トマスをはじめ弟子たちは、主の十字架の苦しみと死を通して御父と御子の栄光が現わされることに気づかず、主の十字架の苦しみの道に足を踏み始めた。しかし、あと一ヶ月もたたないうちに、彼らは、自分の弱さをどん底までさらけ出し、イエスと共に死ぬどころか、イエスを捨てて、わき目もふらずに逃げてしまった。彼らは、自分の弱さと情けない悲しみを味わい尽くした後、復活された主に再び出会うようになる。わたしたちは、上からの聖霊の力に信頼を寄せつつ、「わたしは彼を起こしに行く」と言われる主のお声に励まされて、キリストの苦しみにあずかり、キリストの復活の力を知り、折を得ても、得なくても御言葉を宣べ伝えたいと願う。

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