真理によってささげられた者

10月18日の説教

梁在哲牧師

 

エレミヤ書29章4~14節     ヨハネによる福音書17章13~26節

イエスは、世を離れて御父のみもとに行かれる前、ご自分と11人の弟子たちに引き続き、教会のために大きな声で祈られた。それは、十字架とご復活を通して罪と死の力に勝利をおさめ、喜びに満ち溢れる(ヨハネ17:13)慰めと励ましの祈りであった。宗教改革者カルヴァンは、「イエスのこのお祈りは、イエスの説教に権威を与える印章である」と述べた。「大祭司は、年ごとに自分のものでない血を携えて聖所に入るが、キリストは、ただ一度ご自分をいけにえとしてささげて罪を取り去るために現われてくださった」からである(ヘブライ9:25~26)。大祭司でおられる御子は(ヘブライ7:28)、「聖なる父の御名によって弟子たちを守ってくださるように」(ヨハネ17:11)、また「真理によって彼らを聖なる者としてくださるように」祈られた(17節)。御子は、彼らを、「父なる神の御言葉のために自分をささげる者」としてくださるように祈られた。

御子は、ご自分を十字架の上で完全にささげられ、御自ら聖なる者となられた。しかし、自分の力で聖なる者になれない弟子たちは、「ただ一度イエス・キリストの体がささげられたことにより聖なる者とされる」(ヘブライ10:10)。「御子が弟子たちのために、ご自分を御父に捧げるのは、彼らも真理によってささげられた者となるため」である(19節)。御子は、彼らも父なる神の御言葉のために自分をささげ、父なる神を礼拝するように祈られた。「永遠の霊によってご自分をきずのないものとして神にささげられたキリストの血はわたしたちの良心を死んだわざから清めて、生ける神を礼拝するようにさせる」からである(ヘブライ9:14)。 わたしたちは、大祭司でおられる御子イエスより祈られ、「真理によってささげられた者」 として父なる神に礼拝をささげ、世に遣わされる者(18節)であり続けたいと願う。

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