永遠の命にあずかる者

11月22日の説教

梁在哲牧師

 

ミカ書2章12~13節     マタイによる福音書25章31~46節

イエスは、「人の子が、栄光に輝いて再び来られるとき」(マタイ25:31)、厳しい最後の審判に備えて(32~34節、41節)、「愛のわざ」に励むようにたとえられた(35~40節)。わたしたちも、日本基督教団信仰告白を通して「愛のわざに励みつつ、主の再び来りたまふを待ち望む」と唱え続ける。その愛のわざは、主が再び来られるのを待ち望みつつ、福音に押し出され、立てる証しにほかならない。また、イエスはその愛のわざ、すなわちご自分の十字架とご復活を証し続ける者は、永遠の命の国に入り、「永遠の命にあずかる」と言われた(46節)。それゆえ、わたしたちも使徒信条の最後に「永遠の生命を信ず」と告白し続けることを許される。永遠の命は、この世を生きるキリスト者の中で既に始まっているが、終りの日に初めて完全な形であずかることが出来る(日本基督教団信仰告白問答143)。

使徒パウロは、「父なる神は、御子イエス・キリストのご復活を通して今も、とこしえも、永遠の命という勝利をわたしたちに約束してくださった」と証し(コリントⅠ15:57)、宗教改革者カルヴァンも、「わたしたちを将来の命の同伴者とするためキリストは甦られた」と述べた。それゆえ、この世を生きるキリスト者は、主が再び来られるその時、復活させられ、裁きを受け、永遠の命の国に入ることを許される。これこそ、御子がわたしたちに約束してくださった永遠の命であり、栄光に満ちた保証である(ヨハネの手紙Ⅰ 2:24~25)。御子イエス・キリストのご復活を通して、今も、とこしえも、永遠の命にあずかる勝利をわたしたちに約束してくださる父なる神をほめたたえつつ、主が再び来られるのを待ち望む者として聖霊の御助けによって互いに地上での罪を赦し合い、愛し合う、愛のわざに励みたいと願う。

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