ベツレヘムへの遠い道のり

12月27日の説教

梁在哲牧師

 

イザヤ書60章1~6節    マタイによる福音書2章1~12節

東方の博士たちは、「ベツレヘムへの遠い道のり」を相当な時間とエネルギを費やしてやって来た(マタイ2:1節)。彼らと対照的にユダヤの律法学者たちは、救い主はどこで生まれるのか知りながらも(4節)、しかもベツレヘムはエルサレムから目と鼻の先の距離にもかかわらず、行って拝もうとはしなかった。彼らは異邦人の博士たちを見下し、聖書を頭では知っていても信じていなかったからである。博士たちを導いてくれたその星は、ベツレヘムのどの家から見上げても、真上に見えるはずで、一軒の家をピンポイントで特定出来るほどの星は、あり得ない。それは人知を遥かに超える神の御導きであった。ところが博士たちは、もう一つの別の導きによって守られた。彼らは「ヘロデのところへ戻るな」と告げる夢の導きによってエルサレムを経由せず、死海の南端まで遠回りし、「別の道」を通って自分の国へ帰って行った(12節)。彼らには、「ベツレヘムへの遠い道のり」の末、ヘロデの命令を拒み、また「遠回りして帰国する」勇気が求められた。

ヨセフ(マタイ1:20、2:13、19,22)も、東方の博士たちも疑いを抱き、心が揺れ動いた時、主の天使が夢の中に現われ、戒めた。後にヘロデは、博士たちが自分の指示通り従わなかったことに激しく怒り、ベツレヘム中の2歳以下の男の子を抹殺してしまった(16節)。このように主イエスの地上の生涯は、ヘロデの抹殺の企てから始まり、ユダヤ人たちの抹殺の十字架にまでにいたる。救い主イエスのご降誕を迎え、見出した者は、「別の道」を通って前進し、新たなにされる。その「別の道」は、父なる神が御子イエスを通して開いてくださったご自分への一筋の道に他ならない。2020年を振り返れば、今まで経験したことのないコロナ禍で苦しみや不安定のゆえに疑いと心の揺れ動く遠い道のりを余儀なくされた。わたしたちは、聖霊の御助けによって父なる神の御導きを求めつつ、御子イエスによって開かれた別の道を通って前に進み、新たにされ、新しい年を迎えたいと願う。

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