ガリラヤ伝道の開始

1月24日の説教

梁在哲牧師

 

イザヤ書8章23b節~9章3節 マタイによる福音書4章12~17節

洗礼者ヨハネは、自分の預言通りに、荒れ野で叫ぶ声として忠実に叫び、それゆえに逮捕され、首を跳ねられた(ヨハネ3:30)。イエスは、洗礼者ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた(マタイ4:12~13節)。イエスは、光の当たらなかった「異邦人のガリラヤ」から伝道を始められ、いにしえの預言者の預言通り(イザヤ9:1)、不信仰と罪の暗闇と死の陰の地に住む者たちの上にキリストの命と救いの光が輝いた(14~16節)。そのときから、イエス は、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と、神の国の到来を告げる第一声を「異邦人のガリラヤ」から挙げられ、宣べ伝え始められた(17節)。洗礼者ヨハネも同じことを来るべきメシアを指し示しながら叫び、イエスはご自分のことを御自ら宣べ伝えられた。

そのメッセージは、今日においても同様である。父なる神からわたしたちを遠心分離器で引き離すような一切の悪しき力を御子イエスは、取り除き、わたしたちを父なる神との命の交わりに連れ戻し、「自己中心」や「自己絶対化」から立ち帰る「悔い改め」を求めておられるからである。神の国は、神ご自身が人間となられ、御子イエスにおいてガリラヤの町から既に始まり、イエスを救い主として受け入れる、父なる神を信じる人々の心の中にある(ルカ17:21)。その時、彼らは、神の国の先駆けとなる。彼らは主日礼拝ごとに主の再臨を待ち望みつつ、神の国の成就を先取りにして見ることが許される。それゆえ、わたしたちは、「御国を来たらせたまえ」と祈りつつ、主イエスが再び来られるのを待ち望みたいと願う。

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