二番目のアダムの勝利

2月21日の説教

梁在哲牧師

 

申命記30章15~20節      マタイによる福音書4章1~11節

主イエスは、公の生涯の前に聖霊に導かれ、荒れ野でサタンから誘惑を受けられた。主は、人の子として、全ての人間の代わりに罪を背負い、アブラハムの子孫として、彼ら祖先のように荒れ野で誘惑に遭われた。しかし、まことのメシアとして、主は偽りのメシアの道をことごとく拒まれ、最後のアダムとして、主は勝利をおさめられ、最初のアダムによって失われた自由を再び得られた。主は、荒れ野でサタンの誘惑に打ち勝たれ、サタンはその場から離れた。それは、エデンの園での失敗以来、人間を支配して来たサタンの敗北の始まりであった。ところが、サタンは、しばらく間、その場を離れただけで、完全に滅ぼされた訳ではない。サタンは、最後の敗北を通して永遠の刑罰に陥るまで、人間を絶えず誘惑し続ける(ヨハネ黙示録20:10)。主がわたしたちと同様に誘惑に遭われたゆえに、わたしたちは、生涯キリスト者として、常にサタンの誘惑を受ける危険にさらされている。

しかし、主はわたしたちの弱さに同情できない方ではなく(ヘブライ4:14~15)、わたしたちの力で誘惑と戦うことは、かえって危険であるがゆえに、「我らを試みにあわせず悪より救い出し賜え」と祈るように教えられた。主はわたしたちが、サタンの巧妙な策略に陥らず、誘惑を断固として拒み、御もとに逃れ、ご自分の勝利にあずかるように願っておられるからである。エデンの園で最初のアダムの自由は、堕罪によって失われ、サタンに支配されていた人間は、二番目のアダム、イエス・キリストの勝利において自由を取り戻された。最初のアダムによって死がもたらされ、そして最後のアダムによって命がもたらされたからである(コリントⅠ15:45・ローマ5:18)。それゆえ、大胆に礼拝の恵みの座に近づき(ヘブライ4:16)、父なる神が御子イエスにおいて贖い取られた勝利にあずかるように聖霊の御助けを求めつつ、「我らを試みにあわせず悪より救い出し賜え」と祈り続けたいと願う。

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