主の慰めと励みの祈り

5月29日の説教

梁在哲牧師

 

イザヤ書45章1~7節     ヨハネによる福音書17章1~13節

主イエスは、最後の晩餐の際、心から湧いてくる弟子たちの喜びを奪い去る者はいないと、慰められた。そして彼らには、世で苦難があるが、ご自身既に世に勝っているゆえに、勇気を出しなさいと、励ましてくださった(ヨハネ16:22・33)。その後、主はご自身のため、また弟子たちのために祈られた(ヨハネ17:1~19)。その祈りは、大祭司長の祈りと言われる。主はいけにえの血によらずに御自身の十字架の血によって、ただ一度、聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたからである(ヘブライ9:11~12)。大祭司長でおられる主は、弟子たちが御名によって守られ、一つになるように大きな声で祈られた(ヨハネ17:11~13)。

悲しみに落ち込んでいる弟子たちが慰められ、励まされ、全ての疑いや不安が消え去るように主は、敢えて大きな声で祈られたのである。それは学生のスポーツ試合などで、発する応援のエールのようなものではなかろうか。これから弟子たちは、迫って来る世の迫害の前に、おののきながらも主の慰めと励ましのエールを兜と鎧にし、信仰の戦いに挑むようになる。今も主は、主日礼拝毎に聖霊を通してわたしたちに大きな声で慰めと励ましのエールを送ってくださる。それゆえ、わたしたちは、主のエールに勇気づけられ、喜びをもって答え続けることを許され、大きな主のお祈りを慰めと励みに地上の信仰の戦いに臨みたいと願う。

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