神の子とする聖霊

6月12日の説教

梁在哲牧師

 

申命記6章4~9節     ローマの信徒への手紙8章12~17節

ある神学者は、聖書全体を一つの指輪として例え、ローマの信徒への手紙は、その指輪に付ける宝石であり、殊に8章は、輝く宝の尖端のようなものだと述べた。使徒パウロは、二度と肉に従って生きることなく、体の仕業を断ちつつ、聖霊に従って歩み、生きる信仰の道を勧めた。(ローマ8:12~13節)。そして聖霊によって導かれる者は、人を奴隷として陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受け、アッバ、父よと呼ぶことを許され、神の子となることを証した(14~15節)。宗教改革者ルターは、「神の霊に導かれることは、たとえ神のものではないことは、自分自身さえ、塵芥のように軽蔑し捨てて、汚れや醜さに満ち溢れている世の快楽を拒むことである」と述べた。それゆえ、聖霊は、わたしたちが「神の子ども」であることを、証してくださり、自覚をもってその栄光を見上げるように導いてくださる(16節)。

キリストは、父なる神の永遠なる御子でおられ、わたしたちをも聖霊に導かれ、父なる神の子の列に加わることを許された。それゆえ、わたしたちは、「父なる神の相続人」となり、キリストと共に苦しみ、共にその栄光をも受けるから「キリストと共同の相続人」となる(17節)。その感謝と感激をわたしたちは、聖餐式の度に、「御国の世嗣としての望みを堅くしてくださり、キリストの復活の力を知り、その苦しみにあずかるように」と、祈り続ける。父なる神は、わたしたちをご自分の子となさるためにこの世に御子イエス・キリストをお遣わしになり、御子の霊をわたしたちの心に送ってくださった(ガラテヤ4:4~6)。父なる神は、臆病の霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちに送ってくださった(テモテⅡ1:7)。わたしたちは、聖霊に導かれる「父なる神の子ども」として御言葉を宣べ伝えつつ、「父なる神の相続人」として御子イエス・キリストの十字架と復活の証人の道を歩み続けたいと願う。

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