全ての人に対する教会の働き

9月4日の説教

梁在哲牧師

 

イザヤ書5章1~7節            使徒言行録13章44~52節

パウロの最初の伝道旅行は、キプロス島から始まり、次はピシディア州のアンティオキアの順に続けられた。そこで一行は、安息日にユダヤ教の会堂に入り、聖書を通して主イエスこそ、メシアであることを証した。町中の人は、主の言葉を聞こうとして集まって来て、パウロの説教に関心を示し、集中した。その一方、熱心なユダヤ人たちは、間違った熱心さのゆえに、妬みを隠せず、パウロの話に反対した(使徒13:44~45)。彼らは、神の愛によって育てられ、導かれながら、栄光と繁栄を示す実りをもたらすのではなく、「酸っぱい葡萄」となってしまい、その罪の姿は、明らかにされた(イザヤ5:2)。しかし、それにもかかわらず、福音の証しは、妬みや対立を生みながらも、また新しい恵みが開かれ、一歩一歩前に進んだ。そこで、パウロとバルナバは、「神に選ばれたイスラエルの民は、イエス・キリストによる神の愛の恵みの真実を聞きながら、自らそれを拒み、受けるに値しない者になってしまい、福音は、ユダヤ人から異邦人へと開かれて行く」、と勇敢に語った。

そして自分たちは、地の果てにまでも救いをもたらすために主イエスより「異邦人の光り」と定められた、と告げた(46~47節)。これを聞いた異邦人たちは、喜び、主の言葉を讃美し、信仰に入り、主の言葉は、その地方全体に広まった(48~49節)。他方、弟子たちも喜びと聖霊に満たされていた(51節)。父なる神は、人間を罪から救われるために御子イエスを世にお遣わしになられた。しかし、真理の福音は、人々に拒まれ、対立や妬みを引き起こし、迫害を受けた。そこで御子イエスの十字架の血潮によって新しい契約を結び、聖霊を通して新しいイスラエル、教会をお建てになられた。そのようにユダヤ人だけではなく、「全ての人に対する教会の働き」は、必ずしも友好的な環境の中で受け入れられた訳ではない。むしろ、対立と妬み、また迫害の中でも新しい恵みが開かれ、福音を聞く者は、喜びながら讃美を捧げ、福音を宣べ伝える者は、聖霊に満たされ、喜ぶのである。わたしたちは、新しいイスラエルとして折を得ても得なくても、主にある喜び(マタイ5:12)と聖霊に満たされ、主の福音を宣べ続けたいと願う。

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