共に主に倣う者

8月13日説教

梁在哲牧師

 

エゼキエル書12章21~28節

テサロニケの信徒への手紙一1章1~10節

テサロニケの信徒への手紙は、使徒パウロの最初の書簡として知られている。パウロは、二回目の伝道旅行中、ヨーロッパでの最初の地、フィリピで福音伝道を始めた後、テサロニケで伝道した。しかし、一行は、ユダヤ人の迫害が激しくなり、その場を逃れ、テサロニケには、実際3週間位しか滞在できなかった。彼は、後にテモテからの報告を聞き、「祈りの度にあなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝している」と語り始め、「あなたがたは、ひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、わたしたちに倣う者、そして主に倣う者となり、マケドニア州とアカイア州にいるすべての信者の模範となるに至った」と証した(テサロニケⅠ1:2・1:6~7)。そして、マケドニア州やアカイア州など至る所で人々は、「テサロニケ教会の人々がどのように御子イエスが天から来られるのを待ち望むようになったか」を彼ら自身が言い広めた(1:9~10)。

詩編の記者は、主なる神に倣う巡礼者として「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか」と嘆きながら、「わたしの助けは来る。天地を造られた主のもとから」と苦難にあえぐ者を捨て置かれない主なる神を褒め称えた(詩編121:1~2)。ところが、テサロニケ教会の人々の悩みの一つは、主の再臨の前に死んだ者のことであった。そこでパウロは、彼らに「主は予想しない日、思いがけない時に再び帰って来られるので目を覚まして備えるように」また、「その時には死んだ者は勿論、生きている者も主と共にいる」ことを、伝えた(4:13~18)。主イエスご自身、例え話を通して「予想しない日、思いがけない時に再び来られるゆえに、常に目を覚まして備えるように」戒められた(ルカ12:35~36・46)。

預言者エゼキエルは、紀元前597年、連れ出されたバビロニアの地でバビロニアに降伏するように警告し続けたが、南ユダ王国は、紀元前586年、滅ぼされた。エゼキエルは、エルサレムの滅亡の前に神の裁きと悔い改めを警告し、滅亡の後は、慰めと救いの希望のメッセージを告げた。彼は、主なる神の御言葉は、もはや引き延ばされず、実現されるゆえに、終末と主なる神の国の実現は、間近だと預言した上で、緊張しつつ、真実な信仰に生きるように勧め、求めた(エゼキエル12:26~28)。絶えない自然災害や戦争、また様々な差別と抑圧の中で、人々は悲惨な現実を強いられ、嘆きながらも、日々の生活を営んでいる。それゆえ、いつのまにかわたしたちの感覚は、鈍くなりつつあるのではなかろうか。わたしたちは、「共に主に倣う者」として聖霊の御助けによって目を覚まして、御子イエス・キリストの再臨を待ち望みつつ、父なる神の「御国を来らせ賜え」と、祈り続けたいと願う。

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