遠くから来る民の救い主

1月7日説教

梁在哲牧師

 

イザヤ書49章7~13節    マタイによる福音書2章1~12節

東方の占星術の博士たちが「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて黃金、乳香、没薬を贈り物として献げた」(マタイ2:11)。東方の博士たちが幼子イエスにひれ伏し、拝み、宝を捧げるその栄光に輝く光景を、預言者イザヤは、「わたしに言われたあなたは、わたしの僕、イスラエルあなたによってわたしの輝きは現れる」、そして、世界の国々の民が、遠い国から近い国から東西南北からキリストに向かって来ることを預言し、主なる神の慰めと憐れみのゆえに御名を褒め称えた(イザヤ49:3、12~13)。

それゆえ、主なる神の僕、「遠くから来る民の救い主」は、新しいイスラエルである教会の頭となり、ユダヤ人から憎まれ、排斥されたキリストに全ての国々の王と君侯は、ひれ伏して拝むようになる。ところが、東方の占星術の博士たちが幼子イエスに献げた贈り物は、生まれたばかりの幼子に、そして母マリアにも必要な物とは言い切れない物であった。黄金は東西古今に通じる貴重な物であり、乳香は、アラビア産地の灌木から出る松脂で香料に使われ、白い色のため乳香と呼ばれた。没薬も遺体に塗る松脂で、死刑囚には、麻酔剤として飲ませた。それらは、誕生を祝う贈り物として相応しい物とは言えないむしろ、葬りに使われる物である。

幼子イエスは、この世にお生まれになり、これから十字架を目指す苦しみの旅を始められる。主なる神の輝きは、ご自分の僕、キリストによって現われるように、父なる神の栄光は、御子イエスの誕生と共に十字架と復活を通して現れるからである。詩編の記者は、メシア王国のキリストは、平和の王として公平かつ正しく治められるゆえに、王中王となられ、国々の王は、キリストにひれ伏し、仕えるようになる、と主なる神の御名を褒め称えた(詩編72:11)。新しい年のはじめ、わたしたちは、御子イエスの誕生と共に十字架と復活を通して現れる父なる神の栄光を褒め称えつつ、聖霊の御助けによって新しいイスラエルの民として「遠くから来る民」と共に教会の頭なるキリストに喜びをもって仕えることが出来るように祈り、願う。

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