いやすキリスト

2月4日説教

梁在哲牧師

 

ヨブ記23章1節~10節   ヨハネによる福音書5章1節~18節                 

ベトサダでの奇跡の出来事は、ヨハネによる福音書にのみ記されている。ベトザタと呼ばれる池にある回廊に横たわっていた大勢の病人の中で38年も病気で苦しんでいる人がいた(ヨハネ5:1~5)。今日の世界にも大勢の人々が自然災害や事故、また戦争被害の苦しみの中に置かれているが、38年間という長い年月の苦しみがどれ程、耐え難いものなのか想像すら出来ない。その病人は、主イエスに出会う前まで絶えずに嘆き、呻いたかも知らない。ヨブも、友人テマン人エリファズから厳しい非難を浴びた後、「わたしの手は重い。どうしたら、その方を見いだせるのか。おられるところに行けるのか。その方にわたしの訴えを差し出し、思う存分わたしの言い分を述べたいのに」と苦しみ嘆き、呻いた(ヨブ23:1~4)。

ついに主イエスは、横たわっていたその病人をご覧になり、もう長い間病気であるのをご存じで、「良くなりたいか」と言われた(6節)。「良くなりたいか」、主イエスのその一言こそ、38年間、無気力になり、すっかり諦めてしまっていたその病人の心にかすかな希望の火種を生かしてくださり、周りの無関心や非情、冷淡さに一石を投じたのではなかろうか。そして誰も自分を助けてくれないと嘆きながら答えるその病人に主が「起き上がりなさい。床を担いで步きなさい」と命じられるとその人はすぐに良くなって、床を担いで步きだした(8~9節)。それは、安息日を問わず、絶望に陥っていた病人を癒してくださる主イエスの愛と力に満ちたお声であった。

その後、イエスは神殿の境でその人に出会って病気を癒された喜びのあまり、再び罪を犯さないように厳しく戒めた。(14節)。ダビデは、部下ウリヤの妻バッドシエバを犯した罪を悔い改めた後、罪が赦される祝福を褒め称えた。彼はその恵みの経験に照らして民たちに「欲望のまま生き、自ら悟り、悔い改めることの出来ない、軛や力によってのみ従う馬やラバのような者にならないように」勧めた(詩編32:8~9)。どうか、分別のない馬やラバのように振舞い、心の定まらない我々を聖霊の轡(くつわ)と手綱によって導いてくださるように。そして御子イエスの愛と力のお声に励まされ、その独り子を惜しまず与えてくださった父なる神の愛と信じる者すべてに救いをもたらす父なる神の力、福音を恥とせず、宣べ伝えたいと祈り、願う

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