わが行く道はいずこにありや 2009年5月10日 礼拝説教 原田史郎牧師
ヨハネによる福音書14章1~11 最後の晩餐の席で、主イエスは弟子たちに、ご自身が去っていかれること、「そこには、あなたたちは来ることが出来ない」と言われました。弟子たちの心は、不安で一杯になりました。そこで主イエスは「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」と言われます。不安の中でこそ、主を信頼し、最後まで従うことが求められます。 主が弟子たちの所から離れるのは、理由があります。それは私たちのために、天に場所を用意してくださるために行かれるのです。 「父の家には住む所がたくさんある。」「住む所」(モネー)は「滞る」から来ていることばです。そこは、私たちの終いの住み家であります。「主の家にわたしは帰り、生涯、そこにとどまるであろう」(詩23:6)ところなのです。 ところが、この主のおことばは、弟子たちによく理解されませんでした。トマスが聞きました。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません」。 そこで主イエスは「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことは出来ない」と言われました。「わたしは○○である」という言い方は「わたしは主である」という神顕現の表現です。主イエスは、ここで三重の表現で、ご自身が「神」、「主」であることを言い表らわされたのです。 主イエスは、道を人々に示されました。しかし、ご自身こそが、その「道」であったのです。そしてこの道は「真理」です。最も信頼にたる価値あるもの、それが旧約以来の真理です。そこには「命」があります。 死の束縛から解き放たれ、永遠の命に満ちているのです。この道こそ、私たちの行くべき道です。この道を歩みましょう。 |