重荷を負う者は来なさい

   200967日 礼拝説教  原田史郎牧師

                  マタイによる福音書112530

 

わたしたちには、いくつかの重荷があります。まず、肉体の重荷です。ある新聞に、難病の方のことが、毎日連載されていますが、その方たちの悩みや戦いの中で、必死に生きている姿に、大変だなあ、と思いつつ教えられています。今、健康な人にとっても、病や老化は、避けられないわたしたちの重荷です。

 また、体は元気でも、精神や心に重荷があります。思い煩いや心配事があり、不安や恐れが絶えません。年間3万人以上の人々が、自ずからの命を絶つという痛ましい現実があります。

 そして、これらの根源に、わたしたちの魂の重荷があります。この重荷は、わたしたち人間が神に背いている、罪から出てくる重荷です。この重荷から、解放されるとき、人間は、はじめて神のうちに平安と休息を見出すことが出来るのです。

 このような重荷を負っている者に、主イエスは「疲れたもの、重荷を負っている者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」と言われます。

 この休みはどのように与えられるのでしょうか。まず第一は、主イエスのもとに行く、ということです。それは、わたしたちの生き方を主イエスの方に向きを変えるということです。光に背を向けていたものが、光に向かって歩くということです。

 第二は、主イエスのくびきを負うことです。主のくびきは軽く、わたしたちに最も適した,それゆえに神さまから与えられた賜物を生かしえる、くびきであり導きです。

 最後に、主イエスに学ぶことです。主は柔和で最も謙遜なお方です。わたしたちの最も良き教師であり、模範です。向きを変えましょう。

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