初めての教会 2009年7月12日 礼拝説教原田多恵子牧師 使徒言行録2.章32~42節 南房教会は、12年で17人の受洗者を出し、会堂・牧師館建築も借金なしでなされ、驚くべきスピードで成長したと羨ましがられています。 初めの教会は、どうだったのでしょうか。構成メンバーは、一日で3千人が仲問になりました。ユダヤ教徒、ギリシャ・ローマ、の諸宗教から一神教に改宗した異邦人から成り立ったと考えられます。 ユダヤ教徒であった彼らは、「木に架けられた者は呪われる」と言う旧約の言葉を信じるが故に、イエスをメシアと認めることのできない人々でした。その人々が、ペトロの説教を聞いて悔い改めたのですから驚天動地の出来事でした。 ルカが記すペトロの説教は、「十字架の死、復活、昇天、高挙(天に挙げられ神の右に座す)は全て神のご計画の成就であることを立証します。ここに、主権を執りたもう神のご計画に、従順に従われたイエスと、そのイエスが「神の右の座に着かれて」約束の聖霊を送ってくださった三位一体の神のお働きをみる思いがします。 「あなたがたが、イエスを十字架につけた」と告発するペトロに彼らは「大いに心を打たれて」罪を悔い改め、洗礼を受け、赦されて信仰にはいりました。そして日々、共に「使徒の教えを守り、相互のまじわり、愛餐、祈り」に熱心な者に変わりました。 現代社会も、この罪が赦され、そこから、赦しによる交わりが生み出されるならば、どんなに変えられることでしょうか。 先日、アーミシュの人々が、愛する娘たちを殺した犯人を赦すと宣言し、葬儀に出席したという記事が朝日新聞に大きく掲載され、反響を呼びました。わたしたちも、初めの教会に倣って、福音の実を挙げたいと願います。聖霊のお働きを感謝し、期符して、主の大いなるみ業を拝したいものです。 |