キリストの心 2009年8月9日 礼拝説教 原田多恵子 牧師 マタイ福音書9章35~10章15節 本日は長崎の原爆被災記念日です。テレビで被爆者やマニラで日本軍と米軍の戦闘に巻き込まれたフィリピン人の方々の証言を見、戦争の愚かさと悲劇を知らされました。そして、主イエスが「群衆が飼い圭のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」ことが、今でも現実の問題としてあることを実感しました。主の公生涯前の30年間は、聖書に記されてありませんが、その生活の中で、民衆の嘆きや苦しみや悲しみを感じ取られたことだと思います。 主イエスは、「神の国が近づいた」と教え、癒しや不思議な業をもって、その宣教を始められました。そして、「収穫は多いが働き人が少ない」と、民衆の中からペトロら12人の弟子を選び、ご自分の持っておられた「病気を癒し、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清め、悪霊を追い出す」権能を彼らに与え、送り出されました。その動機は、弱り果てている人々への、「はらわたのちぎれる」様な断腸の思いと深い憐れみでありました。 弟子たちを送り出す条件は、「何も持たず、ただで与えなさい。そして、ふさわしい人に出会ったら、その人に家に行き、『平和があるように』と挨拶しなさい」ということでした。 今日でも収穫は多いのに、働き人は少ないのです。キリストの心を心として、私たちも人々の救いと平和のために祈り、行動する者でありたいものです。 |