神さまのかたち 2009年8月16日 礼拝説教 原田史郎 牧師 創世記1章26,27節 実家に帰省したHくんは、祖父から初めて聖書のお話を聞きました。お祖父さんは「これは、聖書といって、神さまのお言葉が書いてあるんだよ。」そして、一番初めの人アダムさんのことを、話し始めました。「神さまは、初めに‘光あれ‘と、言われ、この世界にある、全てのものをお造りになりました。太陽や月のような天体、地球の海や陸、海の中に住む魚や生き物、陸のうえにある草や木、そしてそこに生きる全ての動物や生き物。私たちの世界は、この創造の主によって、はじめて存在することになったんだよ。」 「そして、六日目になって、神さまは、私たちに似せて人間を造ろう、と言われたんだよ。そして、神さまは、土から、人のかたちを造られました。それから、神さまは、人に息を吹き込まれたんだよ。すると、人の中に命が宿り、人は生きる者になりました。」 「それって、どういうことなの?」と、Hくんは聞きました。だって、人間は、そんなに簡単に造られない、と思ったからです。 「ウン、そうだね、このお話(神話的表現)には、深い意昧とメッセージがあるんだ。それは、まず第一に、私たちは、神さまによって生かされているということなんだよ。人は、みんな自分で生きているような顔をしているけれども、自分の心臓ひとつとっても、止めたり、動かしたりできないだろう。 そして、次に、神さまは、私たちをとっても愛していてくださるんだ。そのために、神さまは、私たちひとりひとりに、神の子イエスさまをお送り下さったんだ。どんなに、悪い心でも、そこにイエスさまがおられるならば、きれいな清められた心にされ、神さまのなかにいっぱい満ち溢れている「愛、聖さ、正しさ」などが、私たちにも、神さまのかたちとして、与えられるんだよ。」 ああ、おじいちゃんのお家に来て良かった、と小さな孫のHくんは、思いました。 |