教会の交わり

2009913日 礼拝説教 原田 多恵子 牧師

テモテヘの手紙一5116

今日は、敬老祝福礼拝として守ります。当教会には、96歳がお二人、客員、にじのいえの方々、計80歳以上の方が、9名いらっしゃいます。

パウロは、エフェソで孤軍奮闘しているテモテ、愛する息子のようであり、愛弟子、同僚に、事細かに指示する中で、教会の人々との交わりについて語っています。

「老人をしかってはなりません。むしろ、自分の父親と思って諭しなさい。若い男は、兄弟と思い、年老いた婦人は、母親と思い、若い女性には、常に清らかな心で、姉妹とおもって諭しなさい。」(51)と指示します。

「叱ってはならない」とは、厳しく非難するのではなく、温かく励ましなさいという意味です。私共も、年老いると物忘れがひどく、若い人に迷惑をかけ、叱られるようなことが起こります。今は子が親を介護しきれなくて殺す事件が起こって、悲しいことです。

また、女性「身寄りのないやもめ」について「子や孫がいるならば、自分の家族を大切にし、恩返しを学ばせる」べきであり、「自分の親族、特に家族の世話をしない者がいれば、信仰を捨てたことになり、信者でない人にも劣っている」と警告しています(48)。本当に善い行いをして評判の良い、まったく身寄りのない人は、(60歳以上)当時の教会に登録すべしともあります。この制度は、いつ始まっていつ終わったかわからないようですが、旧約聖書でも、神はイスラエルの民がエジプトの寄留から救われたことを忘れないように「孤児、寡婦、他国の寄留者を顧みること」を命じておられます(出エジプト記、申命記等)

今の杜会も、老人、弱い立場の人を顧みる必要があることを痛切に感じます。互いにキリストの愛を頂いて、聖霊のお導き御助けによって、教会の交わり、家族の在り方、ボランティアの歩みをよきものにさせて頂きたく願います。

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