思い直される神

      2009年9月27日  礼拝説教 原田史郎 牧師

ヨナ書4章1~11節

 

「ヨナは、大いに不満であり、彼は怒った。」 預言者は、もう怒りを隠しません。煮えくりかえる腹、胸ののうちを、神にぶつけます。「こういうこと(ニネベの悔い改めによって、神が災いを下すことをやめられた)は、分かっていました。あなたは、恵みと憐れみの神、慈しみに富み、災いを思い直される方です。ニネベを滅ぼされないのなら、わたしの命を取ってください。」とヨナは、死を願うのでした。

 

 ヨナは、都を出て、そこに日差し除けの仮小屋を建て、何が起こるかを待ちました。自分の訴えを、神さまが聞いて下さったかも知れない、と思ったからです。

 すると、一寸した異変が、起きました。とうごまの木が、伸びて、丈が高くなり、陰をつくったため、ヨナの不満は消え、木を大いに喜んだのです。とても人間的なことですが、

些細なことで癒されたのです。 

 

 とろが、翌日の朝、この木は、虫によって、枯れてしまいました。さらに、焼けつくような、砂漠から吹いてくる熱風によって、ヨナは、衰弱します。彼は、再び死を願って言いました。「生きているよりも、死ぬ方がましです。」 明らかにヨナは、バランスを失っていました。人間は、絶望感を持つと、こんなことで、と思うような小さな事で、死を求めるものです。そして、ヨナの絶望は、神さまとの信頼が崩れたことによるのです。神さまを見失う時、そこには、絶望しかないのです。

 

 主は語りかけられます。「お前は、一夜にして生じ、滅びたとうごまを惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、12万人以上の右も左もわきまえない人々を、惜しまないでいられるだろうか。」

 神さまは、たったひとつの魂をも惜しまれて、独り子なるイエスさまを、わしたちのところに、送ってくださいました。思い直される神さまの深い愛は、今も働いているのです。

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