荒野の誘惑

2011年3月13日

説教 原田 史郎牧師

ルカによる福音書4章1~13節

 

信仰の成長には、暖かい母の膝が何よりも必要ですが、また、父の厳しい訓練も無くてはなりません。「あなたの神、主があなたを訓練されることを心に留めなさい。」(申命記8:5)とあります。神の子イエスも、霊の導きのままに、荒野に行かれて、40日間、悪魔の誘惑を受けられました。

 主イエスは、ここで三つの誘惑を受けられます。最初の誘惑は、空腹の主に、「石をパンに変えてみよ。」と言うものです。かつて、イスラエルの民は、荒野でパンを求めて激しくモーセに迫りました。パンに現わされている肉に関る生活は、わたしたちにとっては、きわめて切実な問題です。

 しかし、主は「人はパンだけで生きるものではない。」と答えられます。パンよりもパンを与えて下さる神さまに目を向け、信頼することが第一なのです。 

 つぎに、悪魔は、すべての国々の権力と繁栄を見せ、わたしを拝むなら、みんなあなたのものになると、主を誘惑します。ここに礼拝の問題が出てきます。わたしたちは、何のために、どなたを礼拝しているでしょうか。

 主の答えは「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ。」というものでした。

人間の心の中には、いつも自分という王さまがいる、と言った人がいます。そのように、わたしたちは、主イエス以外の権力と繁栄をもたらすものを礼拝する誘惑にさらされているのです。

 最後の誘惑は、神さまの守りに対する信頼を問います。悪魔は、神殿の屋根から飛び降りても、神が天使によって、あなたを守るはずだと、聖書の言葉を引用しました。主イエスは、「神である主を試してはならない。」と聖書にあると、答えられます。

信仰は、神さまへの信頼です。三つの誘惑を通して、この信頼がわたしたちにも問われているのです。

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