奇跡を行うキリスト

2011年3月6日

説教 原田 史郎牧師

ルカによる福音書9章10~17節

 

 主イエスがベトサイダに退かれたとき、それを知った群衆が、後を追って来ました。

そこで、主は、病人を癒され、神の国について話されます。やがて、日が傾きかけるころ、心配した弟子たちは、群衆を解散させてください、と主にお願いました。彼らは、「こんな人里離れたところで、自分たちは何も出来ない」ということを案じたのでした。それは、いつもわたしたちが限界を感じて、思い悩んでいることなのです。

 

 しかし主イエスは、彼らに「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」と言われます。弟子たちは言いました。「パン五つと魚二匹しかありません。」この「しか」という言葉に、彼らの思いがよく表われています。そんなことは、到底無理です。出来る筈がありません、と言っているのです。そこには、成人男子だけでも5千人もいたからです。とても出来ません、というのは、わたしたちの現実なのです。

 

 主は人々を50人ずつ座らせるように命じられると、五つのパンと二匹の魚を取り、讃美の祈りを唱えて、裂き、弟子たちに渡して配らせます。そのとき、すべての人々は食べて満腹したのでした。弟子たちにとって、出来る筈がない不可能なことを、主はすべて満たされました。主のみ手に、委ねるとき、そこにわたしたちの思いを超えた奇跡が起こるのです。

 

 わたしたちの持てるものは、限りがあり、その力も弱いものです。しかし、主がわたしたちの真中におられるなら、そこには、無限の可能性があることを、この奇跡は示しています。そして、わたしたちの必要としているもの、このパンと魚に象徴されている真の食物もまた、わたしたちの主によって、満たされます。残ったパン屑が12籠あったことは、その恵みの溢れるばかりの豊かさを表わしているのです。

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