枯れた種と実を結んだ種

2011年2月20日

説教 原田 史郎牧師

ルカによる福音書8章4~15節

 

 主イエスは、四つの違う土地に撒かれた種の話をされました。このたとえの中で、主が最も強調しておられるのは、最後のケース、良き地に落ちた種であることは明らかです。他の種は、どんな理由があるにせよ、枯れてしまいました。

 良い土地とは、どんな土地なのでしょうか。主ご自身が、種は神の言葉、と説明されていますから、土地はその種の撒かれたわたしたちの心、教会の信仰のことでありましょう。そうであるならば、その土地は、神さまの御言葉を受け入れる心であります。それは、主イエスによって、もたらされた神の国は必ず成長して、身を結ぶと信じる心です。

 

 神さまの御言葉による神の国の成長と結実を信じて歩むとき、そこには様々な障害や困難があります。この時代、教会は迫害に直面していましたから、このたとえは、のどかな田園風景ではなく、根を張り、成長するための必死の戦いでもあったのです。

 その中で、どんな障害や困難があったとしても、御言葉には必ず実を結ぶ力、命があると信じる信仰こそが、良き地と成りうるのです。わたしたちは、この四つの土地を見るとき、どうしても、自分から、わたしたちは良い土地だとは、言い得ないと思います。でもそのことで、わたしたちが勇気を失ったり、くじけて意気阻喪してしまったならば、それは種を枯らしてしまう土地となってしまうのではないでしょうか。

 

 「心を尽くして主を信頼し・・常に主を覚えてあなたの道を歩け。」(箴言3:5,6)どんなときにも、神さまが私たちに撒いてくださった貴重ないのちの御言葉を大切にして、主を礼拝する生涯を全うしましょう。そこに豊かな実りがあるのです。

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