受難の予告

牧師  原田 史郎

ヨハネによる福音書6章60~71節

「命を与えるのは“霊”である。肉はなんの役にもたたない」

 3・11東日本大震災から今日で1年経ちました。わたしたちの痛みと苦しみを担われる主が、被災地の方々と共におられることを信じます。

 主イエスの言葉を聞いた弟子たちの多くが、主の元を離れて行きました。5千人以上の人たちに食べ物を与えられた奇跡の後、主が「わたしは命のパンである」と言われたからです。それは、主が「パンを与える方」であるのみならず、主イエス「ご自身がパン、即ち神(メシア)」であることを示されたからでした。

 弟子たちのつぶやきに、主は、「このことにつまずくのか。それでは人の子がもといたところに上るのを見たならば」と言われます。

 この「上る」とは、主が天に上ることです。それと同時に、「十字架に上げられること」(3:14)を意味しており、更にまた、「死人のうちより上げられる」という復活とも重なるのです。

 イエスを「命のパン」と認めることが出来なければ、到底イエスの十字架と復活を信じることは出来ません。

 多くの弟子たちが主から離れ去ったとき、主は12人に「あなたがたも離れて行きたいか」と聞かれます。シモン・ペテロが答えました。「あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者です」

わたしたちは、「霊」である主の言葉に信頼して歩む者なのです。

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