永遠の命を悟りなさい

牧師  原田多恵子

ヨハネの手紙一 5章10~21節

 

 今日の教会歴は、5章10節から始まり、「イエス・キリストについての証し」を記した第2段落の5章6~12節の半ばから読み始めています。これは、多分に「神の子を信じる人は、神の証し(10)」を持っており、この「証し」とは、「神が永遠の命をわたしたちに与えられたこと」(11)から、今日の主題である「永遠の命を悟りなさい」が語り出されているからです。

 5章は、本来、12節で終わっても良いのです。それにも関らず13節以降の「永遠の命」について語られるのは、著者が、本書全体を通してどうしても「神の子の名を信じているあなたがたに、これらのことを書き送るのは、永遠の命を得ていることを悟らせたいからです」と伝えたかったからなのです。

 「永遠の命」とは、不死不老の命ではありません。ボーボワールの小説に何百年も生き続けている人を主人公にした作品がありますが、延々と続く生涯が、如何に苦痛に満ちた生涯であるかが描かれていました。

 「永遠の命」とは、キリストの十字架と復活によって与えられるキストにある新しい命です。罪と死の縄目から解放された命、終末のときに与えられる命です。著者は「永遠の命を得ていることを悟らせたいから」と言います。「悟る」というのは、「自覚しなさい」「分かりなさい」「知らしめんため(文語訳)」ということです。ヨハネによる福音書は、四つの福音書の中でもっとも多く「永遠の命」について語っています。それは「イエスが神の子メシア信じるため」であり、「信じてイエスの名により命(永遠の命)を受けるためである(20章30節)」でありました

 しかし、この手紙は、これから永遠の命を受けることではなく、既に受けている永遠の命を、深く悟りなさいと、勧めるのです。命が与えられると言うことは、喜び、歓喜以外の何ものでもありません。わたしたちは、「キリストの内に生きています」。このキリストこそ「真実の神、永遠の命(20)」なのです。永遠の命を体得し、日々喜びをもって証ししましょう。

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