良い羊飼いイエス

牧師  原田史郎

ヨハネによる福音書10章1~6節

 

  主イエスは、「わたしは良い羊飼いである」と言われます。この「良 い」は、「あの人は、良い人だ」ということ以上に、「完全な」とか、「理想的な」という意味を含んでいます。このことは、「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」と言われるところに表われています。

  「良い羊飼い」というとき、そこには「悪い羊飼い」が想定されています。そのような羊飼いは、「羊をもたない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる」のです。

 多くの場合、羊は村の共有財産でした。また、個人で多くの羊を持っている者は、信頼出来る家族や親せきの者に羊の管理を委ねました。ヤコブやエッサイの息子たちは、父から羊を託されました。

 それに比べると、お金のために雇われた羊飼いは、身を捨ててまで羊を守る気はありません。結局、狼や強盗が襲ってきたとき、羊は奪われ、散らされてしまうのです。

 

 しかし、「良い羊飼い」は、命を賭けて羊を守ります。主イエスは、悪しき悪魔の支配と罪から救うために、御自身の尊い命を十字架の上で捨てて下さいました(マルコ10章45節)。

 「良い羊飼い」である主イエスに従っていくとき、わたしたちはこの方の豊かな命に与るのです。

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