癒(いや)しの主キリスト

牧師 原田 史郎

ヨハネによる福音書5章1~18節

主イエスが「ベトサダ」の池に行かれると、そこに38年間も病気で苦しんでいる人がいました。主が「良くなりたいのか」と言われると、病人は「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、はかの人が先に降りて行くのです」と答えました。この人は、長いこと置き去りにされ、かまう人は誰一人いませんでした。さらに、病人同士の熾烈な競争にも負け続け、敗北感と孤独の中に、成す術もなく、ただ回廊に横たわっているだけでした。

しかし、主イエスは「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」と言われます。するとこの人は、立ち上がり、床を担いで歩きだしました。

この日が安息日であったため、ユダヤ人の間に論争が始まります。この論争は、主が「わたしの父は今なお働いておられる。だからわたしも働くのだ」と言われたことにより、ユダヤ人は「神を御自分の父と呼んで、御自身を神と等しい者とされた」として、彼らは主に殺意を抱きました。しかし、イエスは、癒しの主でありたもう神として、決して病人を見捨てたまわず、わたしたち病める者の傍らに立っていてくださるのです。

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