「試練を忍び誘惑に克つ」

3月5日(日)

牧師 原田 史郎

ヤコブの手紙1章12~18節

 「試練を耐え忍ぶ人は幸いです」とヤコブは言います。なぜなら、そのような人は、神から「適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです」 試練は、神から与えられる信仰のトレーニングです。それは、わたしたちにとって、決して嬉しいものではありません。平和と安寧を奪われ、痛みと傷を負うからです。しかし、この試練によって、わたしたちは新しい信仰を与えられ、祈りの膝を強くし、み言葉の恵みを体験し血肉化するのです。アブラハムは、その子イサクを捧げるという試練を通して、「彼は神の友と呼ばれた(ヤコブの手紙2章23節)」のでした。

 また、救われた者は、キリストが荒野で誘惑を受けられたように、誘惑を受けます。しかし「『神に誘惑されている』と言ってはなりません」 誘惑は、神からではなく「人はそれぞれ自分自身の欲望に引かれ、唆されて欲望に陥るのです」とヤコブは言います。誘惑は、試練と違って甘く快適なものです。イスラエルは「モーセの警告(申命記30章17~18節)」にも拘わらず、繁栄と快適をもたらす豊穣の偶像に魅了されて、滅びの道をたどりました。

 父なる神は「真理の言葉によってわたしたちを生んでくださり」そして創造された「初穂」としてくださいました。試練に遭われ、誘惑に克たれた主イエスに従って、初穂として主のみ心の内を歩むのです。

前回 目次へ 次回