「忍耐して待ち望む」

9月3日 牧師 原田史郎

  ローマの信徒への手紙8章16~25節

「被造物は虚無に服しています」とパウロは言います。「虚無(マタイステース)」とは、内容や意味のない空疎、無常を表し、「罪、死、腐敗などに支配されている(リビング訳)」状態を表します。詩編の詩人は「人生の年月は70年程のものです/健やかな人が80年を数えても/得るところは労苦と災いにすぎません/瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります(詩編90篇10節)」と詠いました。このとき、詩人が見ているものは、人の一生は70年、80年という枠組みまたは桝の中に限定されている世界です。その中での虚無と虚しさを闘う詩人は、まだ主イエスの開かれた枠を超えた世界を知らないのです。

 この虚無に服したものの悩みは、人間だけではなく自然を含めた被造物全体にも及んでいます。「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています」 今、地球の温暖化が問題になっていますが、この侭ではCO2の排出により、今世紀末には4°Cの海温上昇になるといわれています。もし、この予測のようになれば、海面水位は1から2メートル上がり、島嶼の国は水没し、アメリカ北東部、南と東南アジアの広い範囲で浸水の危険にさらされます。熱波で食糧生産が減り、水資源の枯渇と動植物の絶滅、感染症の蔓延など、まさに聖書の語っている預言が現実になるのです。

しかし、これはまた「産みの苦しみ(オーディン・陣痛)」でもあるとパウロは言います。このギリシャ語は、メシアが出現する前の世界に起こる混乱や災害を表す言葉として使われます。ですから、わたしたちは「神の子とされること、つまり、体が贖われることを、心の中でうめきながら」もその時を忍耐をもって待ち望むのです。「現在の苦しみは、将来わたしたちに現わされるはずの栄光に比べると、取るにたらない」からです。

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