「神の民に選ばれる」

11月12日 牧師 原田史郎

創世記15章1~18節a

 甥のロトを救出した後、アブラハム(15章ではアブラム)に主の言葉が臨みます。「恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう」 この言葉に、アブラハムは彼の思いを主に吐露します。「わが神、主よ、わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません」 古代のヘブル社会は、男系継承で、特にその長子を通して血筋と名が相続されました。「わたしは子なくして逝く」と、言っているのです。

 「主は彼を外に連れ出して言われた。『天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい』」 夜の天幕の中で、高齢のアブラハムは、現実を考えると、どうしても内向きで悲観的になってしまったようです。主は、そのような彼に目を上げるように促がし、満天の星群を見させます。夜空に輝く星は、神の無限の可能性と、暗闇に輝く希望です。「あなたの子孫はこのようになる」と、言われた主の言葉を聞いた時「アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義(ツェダカー)と認められた」のでした。「義と認める」という言葉は、関係を表す言葉で、神の言葉を信じる信仰が、神との正しい関係(義)を生まれさせるのです。 

 この後、古代の契約の儀式の用意がなされます。動物を二つに切り裂いて向かい合わせて並べます。この奇妙な儀式は、契約の際、もしわたしが契約を破れば、裂かれても構いませんというしるしです。日が沈み、暗黒に襲われたとき、「煙を吐く炉と燃える松明」に象徴される神ご自身が、動物の間を通りすぎました。神との契約を破り、罪の中を歩むわたしたちに代って、神はその独り子であるキリストを、十字架に送り、ご自身が裂かれた者となられたのでした。「キリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです(コリント信徒への手紙一、1章30節)」

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