最も大きな贈り物

6月9日

牧師 梁 在哲

ルカによる福音書11章1~13節

祈りの福音書と呼ばれるほどルカによる福音書には、いつも懇切に祈られる主イエスの姿が描かれている。ある日、ある所で主イエスの祈りが終わるまで静かに待っていた弟子たちは、洗礼者ヨハネが弟子たちに教えたように自分たちにも祈りを教えてくださいと、主イエスに言った(1節)。そこで主イエスは祈るときにはこう言いなさいと、弟子たちに「主の祈り」を言われた(2~4節)。

さらに、主イエスは弟子たちに祈るときは、無意味な繰り返しではなくて心を込めて根気よく祈りなさいと、こう言われた。「そこでわたしは言っておく。求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば見つかる。門をたたきなさい。そうすれば開かれる。誰でも求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる」(9~10節)。宗教改革者ルターもその根底に流れている精神が忘れられて無意味に繰り返される「主の祈りは最大な殉教者となった」と、指摘した。

主イエスは、心を込めて「求め」、行動に移して「探し」、主にお目にかかり直談判するような気迫で「門をたたきなさい」と、言われた。何故ならば、探すことは求めることより、たたくことは探すことより以上のことだからである。それに加えて主イエスは言われる。「このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子どもには良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」(13節)、と。

父なる神は、何の代価なしに御恵みによって人間に命を与えて下さり(創世記2:7)、私たちに「最高の贈りもの‐御子イエス・キリスト‐」をお与えになった(ヨハネ3:16)。その上、キリストを受け入れる者には、全てのことを贈りものとして与えられることを約束してくださった(ローマ8:32)。それゆえ、御子は御父と共に良い物の中で最も良いもの、「最も大きな贈りもの‐聖霊‐」を送ってくださると、約束してくださったのである。私たちは、主イエスの祈りの模範に倣って、主の道を探し求める者に聖霊が与えられるように、また自分たちも聖霊に満たされ、与えられる「新しい言葉」を自分の言葉として受け入れるように祈り続けたいと切に願うのである。

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