キリストの昇天

5月16日の説教

梁在哲牧師

 

エレミヤ書10章1~10節     ルカによる福音書24章44~53節

エノクは、信仰によって死を経験しないまま、天に移され(創世記5:24・ヘブライ11:5)、預言者エリヤも嵐の中を天に引き上げられた(列王記下2:11)。エノクは、キリストの再臨を預言し(ユダ14節)、生き残って天に引き上げられる聖徒らのしるしとなった。復活された主は、聖書全体にわたり、御自分について書かれている預言を悟らせるために弟子たちの心の目を開き、それを要約し、聴かせられた(ルカ24:45~46)。主は、御業を終え、天に昇られる前に弟子たちに約束と共に命令を下された。主は、聖霊を送ってくださると約束し、高い所からの聖霊の力に覆われるまでは、都エルサレムにとどまっているように命じられた(ルカ24:49・使徒1:4)。神の御力をいただくことを「衣を着る」ことに例えられたゆえに、聖霊を受けない者は、裸同然のような状態である。それから弟子たちは、聖霊を着るようになり、罪の赦しを得させる悔い改めを御名によってあらゆる国の人々に宣べ伝える証人となりなさいと命じられた(ルカ24:47~48節・使徒1:8)。

こう話し終わると、主は弟子たちを祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた(50~51節)。その主の御姿に弟子たちは皆、イエスこそ、神の御子であることを確信し、ひれ伏し拝んだ。彼らは大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境にいて、神をほめたたえていた(52~53節)。「主の祝福」と弟子たちの「神へのほめたたえ」は、ギリシア語では、同じく「ユロゲオ」と記される。それゆえ、主に祝福され、招かれた者は、神を絶えずほめたたえ、その御招きに答えることだけが求められる。御力を御子に働かせて、死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせられた父なる神(エフェソ1:20)、父なる神の右に着かれ、わたしたちのために執り成してくださり、天に昇られた同じ有様で、またおいでになる御子なる神(使徒1:11)、わたしたちの祈りと信仰告白を通して、永遠の命の望みを与えてくださる聖霊なる神、三位一体の神を絶えずほめたたえたいと願う。

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