神が選ばれた僕

5月23日の説教

梁在哲牧師

 

ヨエル書2章23~3章2節     マタイによる福音書12章14~21節

ファリサイ派の人々は、安息日に病人を癒されるイエスの行為が律法を犯し、自分たちの権威に公然と挑戦したと激しく憤慨した。彼らの好奇心は、激しい憎しみに変わり、イエスを殺そうとした(マタイ12:14)。彼らは安息日にイエスが病人を癒し、律法を犯したと非難しながら、自分たちは、安息日にイエスを殺す計画を立てていた。イエスはそれを知って、深刻な対立になる前に、カファルナウムを立ち去られた(15節)。それにも関わらず、大勢の群衆がイエスに従った。イエスは、病気の人々を憐れまれ、癒してくださった(15節)。しかしイエスは、御自分のことを言い広めないようにと戒められた(16節)。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが(イザヤ42:1~4)、実現するためであった(17節)。イエスは、奇跡のしるしのみを追い求めてやって来る人々が、誤った望みを煽り、ご自分の働きを妨害することを願わなかった。

御父に選ばれ、愛され、聖霊を授けられた僕は、ユダヤ人だけではなく、全ての異邦人にも福音を知らせる(18節)。キリストの働きは、柔和で謙遜な姿で、自分が自分のことを売り、注目を浴びるようなことをなさらなかった(19節)。キリストは、福音が宣べ伝えられ、完全な正義がもたらされるまで、傷ついた葦のようなまた、消える寸前の燈心のような弱い命を滅ぼすことなく、癒してくださる(20節)。キリストはへりくだって、十字架の死に至るまで従順でおられたため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになった(フィリピ2:8~9)。それゆえ、異邦人は御名に望みをかける(21節)。わたしたちの救いのために「父なる神が選ばれた僕」、御子イエスの働きを聖霊は証し、「光を灯す」聖霊の働きは、わたしたちの目を開け、御言葉と聖餐の恵みにあずかるように助けてくださる。わたしたちは聖霊に満たされ、自分のことに執着し、利益だけを追い求める生き方ではなく、父なる神が選ばれた苦難の僕、御子イエス・キリストの御心に努めたいと願う。

前回 目次へ