神が結び合わせたもの

10月24日の説教

梁在哲牧師

 

創世記2章4~9節    マルコによる福音書10章2~12節

イエスがユダヤ地方に入った途端、ファリサイ派の人々がイエスを試そうと近寄り、「夫が妻を離縁することは律法に適っているでしょうか」と尋ねた(2節)。当時ヘロデ王は、自分の兄弟フィリポの妻、ヘロディアと結婚するため離婚し、それを非難した洗礼者ヨハネを、殺させたからである(マルコ6:17)。そこでイエスは、「モーセはあなたたちに何と命じたか」と問い返された(3節)。彼らは、申命記を挙げて(24:1~2)、「モ-セは、離縁状を書いて離縁することを 許しました」と答えた(4節)。彼らは、神の「定め」とモーセを通して授けられた神の「許し」を混同し、離縁状を書いて渡せば、いくらでも離婚できると思い込んでいた。しかし、イエスは、「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ」と、言われた(5節)。頑なな心と弱さのゆえに神の「定め」を守り切れない人間のために神は、モーセを通してご自分の「許し」を与えてくださったからである。また、イエスは、一人の男が、父母を離れてその妻と結ばれ、二人は、もはや別々ではなく、一体となる神の「定め」の出発点は、天地創造の出来事にあると、言われた(6~8節)。

一体となった夫婦は、「男」と「女」であると同時に、「男と女」である。そのゆえ、イエスは、「神が結び合わせてくださったものを人は離してはならない」と言われた(9節)。創造主によって結び合わせられたものを、被造物の人間が破壊してはならないからである。イエスは、結婚と離婚の規定より、むしろ、一人一人がかけがえのない存在として、神の「定め」に堅く立ち、自由に生き、感謝と喜びの内に生かされ、その喜びと感謝を他の人々と分かち合うように願っておられた。父なる神は、御子イエス・キリストを花婿として、花嫁なる教会と結び合わせてくださった。花婿なるイエスは、ご自分の花嫁なる教会以外に、如何なるその他の花嫁や家族をお持ちにならない。それゆえ、花嫁なる教会は、賢い五人の乙女のように、いつも心の壺の中に信仰の油を用意して、花婿なるイエス・キリストが再び来られるのを待ち望まねばならない。男と女、性に関しても殊に、同性愛や同性結婚のような多様な様相が提示される今日において、わたしたちは、神の「定め」と「許し」に示された神の「御心」に問い続けつつ、主が再び来られるその日を待ち望みたいと願う。

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