生涯のささげもの

9月18日の説教

梁在哲牧師

 

列王記上21章1~16節     ガラテヤの信徒への手紙1章1~10節

使徒パウロがガラテヤを離れた後、ユダヤ人たちは、教会の人々を誘惑し、パウロのことを非難した。ユダヤ人たちは、イエスを信じても割礼を受けなければ救われないと主張し、パウロの使徒としての資格と権威を否定した上で、十字架によって罪が赦されることに反対し、別の福音に乗り換えるように人々を煽った。その噂を聞いたパウロは、自分は、人々からでもなく、人を通してでもなく、御父と御子によって異邦人に福音を宣べ伝える使徒とされた、とこの手紙を書き始めた(ガラテヤ1:1)。パウロは、ガラテヤ教会の人々がそんなにも早く信仰から離れて他の福音に乗り換えようとしていることにあきれ果ててこの手紙を書いた、と厳しく叱責した(6~7節)。そして、他の福音に乗り換えるように惑わしたユダヤ人たちは、呪われるがよい、と厳しく断罪した(8~9節)。何故なら、乗り換えることの出来るもう一つ別の福音がある訳ではないのに、彼らはキリストの福音を覆そうとし、その結果、人々は信仰の線路から脱線するからである。それゆえ、キリストの僕として自分は、神に喜ばれることのみを願い、御父と御子によって委ねられた使徒としての権威を守り、キリストの福音によってのみ生きる、と宣言した(10節)。

王の権威と力は、ただ主なる神に従うために神から委ねられたことをアハブ王は、いつの間にか見失っていた。アハブ王の妻、イゼベルは、王の権威を勝手に自分のもののように使い、葡萄園の主人アボトを石で打ち殺されるように企てて、葡萄畑を手に入れた。アハブ王は、自分の権威を妻が勝手に用いることを知りながら黙認した(列王記上21:1~16)。以前、イゼベルは、アハブ王の権力を利用して異教の神、バアルの信仰をイスラエルに持ち込み、イスラエルの預言者を殺し、バアルとアシュラの預言者たちを高い位に就かせる罪を犯した。アハブ王は、そのような妻の犯した罪に目をつぶり、自分の権力や権威が妻に利用されることを黙認した。彼はもはや人を殺すことも厭わなくなり、その結果、妻に利用された王の権威と力は、悪霊に取りつかれた力となってしまった。神から委ねられた王の権威を軽んじて放棄したアハブ王は、使徒パウロとは真逆の道を自ら進み、滅ぼされた。わたしたちは、聖霊に満たされ、御父と御子によって委ねられた使徒の権威と賜物を「生涯のささげもの」として受け入れ、御子イエス・キリストの福音によってのみ生きる道を歩み続けたいと願う。

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