注がれ続けている主の祝福

5月21日説教

梁在哲牧師

 

ダニエル書7章13~14節  ルカによる福音書24章44~53節

主イエスは、天に昇られる前、世に残される弟子たちに、「御父と御自ら約束された聖霊を送ってくださるゆえに、都エルサレムを離れずにとどまっていなさいと、言われた。そして、御手をあげて祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。弟子たちは、主の祝福に答えて大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境にいて、神を褒め称えていた」(ルカ24:49~53)。主イエスの祝福は、主日礼拝と聖餐式また、祈祷会や家庭集会を通して今も絶えずに注がれ続けている。何故なら、主イエスは、祝福のしるしとして私たちに聖霊を送ってくださったからである。

また、主イエスは、弟子たちに聖霊の約束と共に地の果てに至るまでご自分の証人になるように命じられた。主イエスが天に昇られた後、御使いが現われ、天を見つめていた弟子たちに、「天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」、と告げた(使徒1:8~11)。以前、主イエスは、オリブの山で弟子たちに、ご自身再び世に来られる終りの日に、「人の子のしるしが天に現われ、地上の全ての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る」と、言われた(マタイ24:30)。

ダニエルは、バビロンのネブカドネツァル王とベルシャツァル王、そしてメディア人ダレイオス 王に引き続き、ペルシャのゴレス王に仕えた。バビロンの王ベルシャツァルの治世元年の時、彼は自分が見た幻をこう書き記した。「人の子のような者が天の雲に乗り、日の老いたる者の前に来て、そのもとに進み権威、威光、王権を受け、諸国、諸族、言語の民は皆、彼に仕え、彼の支配はとこしえに続き、その統治は滅びることがない」(ダニエル7:13~14)。主イエスは、ダニエルが見た幻のようなお姿で天に昇られ、終りの日に、彼が見た幻と同じ有様で再び来られる。

詩編の記者が褒め称えたメシアは、「歓呼の中を上られ、角笛の響きと共に上られ、再び来られ、諸国の上に王として君臨され、大いにあがめられる」(詩編47:1~10)。私たちは、苦しみや痛み、また、悩みの現実の中でも主イエスの祝福は、今も注がれ続けている大いなる恵みのゆえに、喜びをもって主を褒め称え続ける。どうか、天に昇られ、父なる神の右に座しておられ、執り成しの祈りを捧げておられる御子イエス・キリストの証人として地の果てに至るまで福音を宣べ伝えつつ、主が再び来られ、世界を御旨のままに治められるその日を待ち望みたい。

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