恵みと真理とに満ちる降誕

12月24日説教

梁在哲牧師

 

イザヤ書62章6~12節    ヨハネによる福音書1章1~14節

主イエスの誕生は、いにしえの預言者たちが呼びかけて来た見張りの声としてあらかじめ告げられた。主なる神は、エルサレムの高い城壁の上に預言者を見張りとして立たせ、昼も夜も沈黙することなく、絶えず、状況を報告するようになさる。エルサレムが再建され、全世界から誉められるまで、見張りは、休むことなく、主なる神に呼びかけねばならない。主なる神は、見張りの叫びを覚えておられ、エルサレムを見守ってくださるからである(イザヤ62:6~7)。ついにエルサレムは救われ、その救いは、ともし火のように輝き、全世界に知られるようになり、主イエスのお体なる教会を通して宣べ伝えられる救いの福音を通して成就される。

主なる神が「光あれ」と言われ、光があったゆえに(創世記1:3)、ヨハネによる福音書の記者は、主イエスの誕生の日は、父なる神が新しい創造を始められた日であり、恵みと真理とに満ちた主イエスの降誕によって我々の命が父なる神につながっていると証した。何故ならば、ヘロデ王によって幼子イエスの命が奪われてしまいそうなクリスマスの出来事を通して我々は、自分の命が父なる神とつながっていることに気づくようになるからである。そして主イエスの満ち溢れる恵みと真理は、わたしたちにも注がれることを証した(ヨハネ1:13~14)。

主イエスの恵みは、罪と死の奴隷となっていた我々がただ同然で買い戻されたものであるからである。そして主イエスの真理は、変わることなく、永遠の命にいたる道を開いてくださるからである。御子イエス・キリストのご誕生を喜び祝うこのクリスマスの朝、聖霊の御助けによって「「主イエスの恵みと真理」が我々にも注がれるように、そして世の憎しみと争いをもたらす、暴れん坊のような「激しい言葉」が幼子イエスに注がれる「クリスマスの言葉」に変えられるように切に祈る。また、わたしどもの教会が昼も夜も沈黙することなく、絶えず、見張りの声を呼びかけつつ、主イエス・キリストの福音を宣べ伝えることが出来るように願う。

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