小さな命に希望を持つ者

12月31日説教

梁在哲牧師

 

イザヤ書11章1~10節       マタイによる福音書2章1~12節

ユダヤの王ヘロデの前で東方の博士たちは、ユダヤ人の王の所在を聞いたゆえに、ヘロデ王は不安を抱き、エルサレムの人々も皆、同様であった(マタイ2:2~3)。エルサレムの人々も皆、同様であったのは、ヘロデへの思いやりではなく、王が変わる時起こる戦争や急激な変化などを恐れたからである。自分の王位を巡って様々な噂を耳にしたヘロデは、疑心暗鬼となって妻と息子をも殺してしまった。ヘロデに翻弄され、諦めていたエルサレムの人々にとって東方の博士たちの訪問は、大きな波紋を呼び、余計に不安を煽る出来事となった。それは黒船のような異質なものとの出会いではなかろうか。

東方は、ユダヤ人にとってアッシリアとバビロンといった強大な国によって連れ出され、囚われた地であり、宗教的にも異教の地であったからである。幼子イエスがこの世に生まれた際、遠く離れた東方からイエスを訪ねて来た占星術の博士たちのように「小さい命に希望を持つ者」があれば、それを知って不安に思い、殺意を隠して企みを絞り込む権力者ヘロデ王のような者もある。世の人々は、安心して安全に生きる場所、延いては希望を持って生きる所を探し求めつつ、動いている。ところが、占星術の博士たちは、遠いユダヤで生まれた幼子イエスを訪ね、旅をする全く異なる道を目指して動いた。

預言者イザヤは、柔らくて、活力に溢れ、弱く見えても命に溢れる救い主が来られ、その上に主の霊がとどまることを預言した(イザヤ11:1~2)。それゆえ、キリストは、聖霊によって宿り、生まれ、聖霊に導かれ、油注がれ、十字架に御自ら捧げられ、復活された。そして、イザヤは、キリストは、ユダヤ人と異邦人全ての民の旗印として立てられ、国々はそれを求めて集い、ひれ伏し、拝み、そのとどまるところは、栄光に輝くその日のことを告げた(11:10)。主なる神は、アブラハムの子孫、キリストを通して全ての国々の民は、祝福されると、約束してくださったからである。

「主なる神の道は、ことごとく正しく、御業は慈しみを示し、まことをもってご自分を呼ぶ人すべてに近くおられる」(詩編145:17~18)。その道こそ、父なる神が「小さな命」、御子イエス・キリスト通して我々に備えてくださったものではなかろうか。我々は、この一年間の御言葉の恵みと、「倒れようとする人をひとりひとり支え、臆病でうずくまっている人を起こしてくださる」父なる神の慈しみに感謝を捧げる(詩編145:14)。どうか新しい一年も父なる神がエッサイの根、救い主御子イエス・キリスト通して備えてくださった道を雄々しく歩ませていただくように祈り、願う。

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