父が約束されたもの

6月1日説教

梁在哲牧師

 

エレミヤ書10章1~10節  ルカによる福音書24章44~53節

復活された主イエスは、天に昇られる前にご自分の地上の生涯と、これから弟子たちと教会に受け継がれる宣教の使命は、既に聖書に預言されてあると言われた。そして、ご自分は、御父が約束されたものを送り、高い所からの力に覆われるまでは、都エルサレムにとどまっていなさいと命じられた後、聖書を悟らせるために弟子たちの心の目を開いてくださった(ルカ24:44~46)。主イエスは、ご自分の受難と復活について以前から弟子たちに繰り返してお告げになって復活された後、エマオに向かう道端で二人の弟子たにも同じように告げられた。また、主イエスは、ヨナのニネベ宣教によって罪の赦しを得させるための悔い改めがその名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる先駆けとなったように悔い改めを促す福音宣教は、罪の赦しをもたらし、弟子たちは、これらのことの証人となると言われた(47~48)。キリストの受難と復活を通して成し遂げられた御救いの業を受け入れるために悔い改めて罪の赦しを得なければならないからである。

預言者エレミヤは、異邦の国々の神を拝み、偶像崇拝に陥ていたイスラエルの罪を厳しく戒めた後、イスラエルの唯一の希望は、その罪を悔い改めて罪を赦され、主なる神に立ち帰り、律法に従順に従うように涙をもって訴えた(エレミヤ10:8~10)。詩編の記者ダビデは、大水のとどろく声よりも力強く、海に砕け散る波。さらに力強く、高くいます主なる神のさだめ、つまり、その律法は、確かであり、律法に示されている主なる神の御業は、永遠に変わるこのないと褒めたたえた(詩編93:1~5)。主イエスは、御父が約束された聖霊を弟子たちに送ってくださると言われたが、高い所からの聖霊の力を衣のように着るまでには、都エルサレムにとどまっていなさいと命じられた(ルカ24:49)。それゆえ、聖霊の衣を着ることの出来ない者は、裸同然のことになるのではなかろうか。そこから、主イエスは、弟子たちをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福され、そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた(50~51)。

正に、ここから使徒言行録は、始まり、弟子たちは、ペンテコステの日まで、エルサレムの神殿に集まって常に喜びつつ、神を褒め称えていた(52~53)。天に昇られる前、主イエスは、ご自分の十字架と復活を通して成し遂げられた御救いの御業と復活と罪の赦しの証人として弟子たちをお遣わしになり、福音宣教を彼らにお委ねになられた。そのようにキリストのお働きは、弟子たちと使徒たちによって教会に受け継がれ、聖霊のお働きによって地の果てにまで伝えられるようになった。そして、その使命は、キリストを頭とした教会を通して今日の我々にも委ねられている。アブラハムとモーセを通して結ばれた主なる神との契約は、人間の不信仰のゆえに、破られたが、しかし、御子イエス・キリストの十字架の血潮と復活を通して新しい契約が結ばれた。ところが、イエスを救い主として信じるも信じないも、新しい契約を果たすも、破ることも、我々人間に委ねられていている。それゆえに、私たちは、御子イエス・キリストにある新しい契約を守り導いてくださるように父なる神が約束された聖霊の御助けを求めつつ、ペンテコステを迎えたいと祈り、願う。

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