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イエスの所へ行けば 2月8日説教 梁 在哲 牧師 列王記下4章27~37節 マルコによる福音書2章1~12節 伝道旅行の数日後、主イエスが再びカファルナウムに来られ、家の中で丁度、御言葉を語っておられると、四人の男が中風の人を運んで来た。しかし、大勢の群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったのでイエスがおられる辺りの屋根を剥がして穴をあけ、病人の寝ている床を吊り降ろした(マルコ2:1~4)。このナザレのイエスの所へ行けば、何とかなると言った四人の男たちの熱い思い、天井を壊して友たちをイエスの所に吊り降ろすという常識外れとしか思えない行動を通して彼らの信仰をご覧になった主は、中風の人に「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた(5節)。そこで中風の人を運んで来た四人の男たちの助け合う信仰が明らかになり、体の病より魂の病を重んじておられたゆえに主は、御自ら、罪をお赦しになる救い主でおられることを宣言された。 四人の男たちの信仰、熱い思いと切実な願いは、預言者エリシャに切実に願うシュネムの婦人の姿と重なっている。エリシャは、不妊のシュネムの婦人に出会って子どもに恵まれると預言した。しかし、その預言は、実現されたが、息子が死んでしまう悲劇の中で婦人は、エリシャの足にすがりつき、「私があなたに子供を求めたことがありましょうか、私を欺かないでくださいと申し上げたではありませんか。主は生きておられ、あなた御自身も生きておられます。私は決してあなたを離れません」と切に願った(列王記下4:27~30)。エリシャは、主なる神に祈って婦人の息子は、生き返った。エリシャは、婦人に「あなたの子を受け取りなさい」と言ったので彼女は、「近づいてエリシャの足もとに身をかがめ、地にひれ伏し、自分の子供を受け取って出て行った」(36~37節)。 詩編の記者も、「打ち砕かれた心の人々を癒し、その傷を包んでくださる主なる神は、馬の勇ましさを喜ばれるのでもなく、人の足の速さを望まれるのでもなく、苦難の時、ご自分を畏れ、ご自分の慈しみと救いを待ち望む信仰、そしてご自分に依り頼み、信頼を寄せる信仰を喜ばれる」と、主なる神の慈しみを褒め称えた(詩編147:3~11)。さて、このナザレのイエスと言う人の言動を厳しい目で監視していた数人の律法学者は、心の中で「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりの他に、一体誰が罪を赦すことができるだろうか」とあれこれと考えた(マルコ2:6~7)。しかし、彼らの心の中を見抜いておられた主イエスは、中風の人に、「私はあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と命じられた(10~11節)。 主イエスは、中風の人を癒して下さる奇跡の出来事を通して「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていること」をお知らせし、証明された。主イエスのご命令によって寝たきりになっていた中風の人が自ら起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出で行く、人智を遥かに越えるその光景を目の当たりにした人々は、皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って神を賛美した(12節)。「イエスの所へ行けば」と言った切実な思いと願いが阻まれる苦難の時、私たちは、聖霊の御助けによってその阻む力が打ち破られ、主イエス御自ら近づいてくださるゆえに、励まされ、勇気づけられる。どうか主イエスの慈しみと救いを待ち望む信仰をもって、また主イエスに依り頼み、信頼を寄せる信仰をもって地上の旅路を歩み続けることができるように祈り、願う。 |