神は愛なり

 2009年10月18日 説教 原田 史郎牧師 

                ヨハネによる福音書 3章16節

 

  ヨハネによる福音書3章16節は、「福音書の中の福音」と言われます。福音書が失われても、このみ言葉が残っていれば、福音を語ることが出来るからです。3章16節は、三つの内容を語っています。

 まず第一は、神さまが、どれ程わたしたちを深く愛してくださったか、ということです。「その独り子をお与えになったほどに」愛してくださったのです。ある大病院に、身元不明の青年が、担ぎ込まれてきました。十分な手当てもされず、その青年は、廊下の隅の粗末なベッドのうえで、息を引き取りました。あくる日、その青年の身元が分かりました。なんと、その病院の院長先生の、たった一人の息子でした。院長は、息子だと分かっていれば、この病院の全てを捨ててでも、わが子の命を救ったものを、と嘆きました。たった独りの子は、親の命の全てなのです。

 神さまは、その愛する独り子を、わたしたちのために、下さったのです。

 それは第二に、「信じる者が一人も滅びない」ためでしたわたしたち人間は生まれた時から、罪の中にあります。パウロは、「罪の支払う報酬は、死です」と言いました。この滅びの縄目から、主イエスは、十字架にかかり、その流がされた血によって、わたしたちを罪から、贖い出して下さったのです。

 第三に、このイエス・キリストの贖いによって、神さまは、わたしたちに、「永遠の命」を与えて下さいました。この「永遠の命」は、「神の命」であります。それは、神の国に入るパスポートのようなものです。

 主イエスは、「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることは出来ない」と言われました。

わたしたちも、パスポートがなければ、どんなに財宝をもっていても、どんなに名前を知られていても、その国に入国することは、出来ませんでも、神さまは、イエス・キリストによって、神の国の世継ぎにして下さったのであります。まことに、神さまは愛です。

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