ハプニングにも意味がある

 

2010年1月3日 説教 原田 史郎牧師

ルカによる福音書2章41~52節

 

  昨年末14歳の少女が、スピードスケートの五輪代表選手に選ばれて話題になりました。ユダヤの社会では、12歳になると、礼拝で聖書朗読も出来るようになり、成人として認められる入口に入ります。

 過越祭のかえり道、両親は、12歳になったイエスが、一日路経たところで居ないことに気がつきました。二人にとって、思いがけないハプニングでした。三日後、両親は神殿の中で、学者たちと対話しているイエスを見付けます。神殿にいた人たちは、少年の賢いことに驚きました。このイエスの賢さ、知恵は神の恵みによって与えられたものです。(2:40)

 敬和学園初代校長の太田俊夫師は、「神の無い教育は、賢い悪魔をつくる」と言って、「明日、神の恵みによって咲く花」を祈りつつ、教育にあたりました。

 驚く両親に対してイエスは、「わたしが父の家にいるのは当たり前」と答えました。地上の親子関係のなかであれば、このような応答は考えられないでしょう。しかし、少年イエスが「神の子」で」あり、「メシア」であるとするならば、この答えは自然なものなのです。心配しないでください。わたしは今、一番素晴らしい所、父の家に居るんですよ、という意味なのです。ここで少年イエスは「神の子。メシア」としての姿を予知させているのです。

 でも、両親には、このことが理解できませんでした。地上の親子と天上の親子との違いだからです。でもマリアは、「これらのことを、すべて心に納め」ました。

 思いがけないハプニングに見えることの中にも、実は神さまの深いご計画の一端が垣間見えるのです。その渦中では「どうして」とか「なんで」とか問わざるを得ないことですが、後になれば、神さまの愛と救いがそこに示されていたことを知るでしょう。

 

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