大胆に神の言葉を語る

20106月6日

              原田 史郎

使徒言行録4章13~31飾

 

神殿当局者たちの前に立たされたペトロとヨハネは、キリストを証ししました。二人の大胆な態度を見、しかも、彼らが無学な普通の人であるのを知って、議員たちは驚きます。わたしたちが御言葉を伝えようと思う時、わたしたちを気おくれさせるものが幾つかあります。その一つは、この時ペトロたちが経験した、一種の蔑視、上の目線からの見下しです。「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」と尋問する時の「お前」は、 「なんで、お前たちのような人間が」というニュアンス(意味合い)が含まれています。このようなことは、主イエスご自身も経験されたことでした。ナザレの会堂で、人々は「この人は大工ではないか」(マルコ6:3)と、つまずいたのでした。

 

しかし、この時のペトロはひるみませんでした。「ナザレのイエス・キリスト以外、だれによっても、救いは得られません」と、大胆にキリストを宣べ伝えます。聖霊によって与えられるこの確信こそが、どんな高等教育を受けた人にも勝って主を証しするちからになるのです。

 

そこで、審問者たちは、二人を脅して「今後あの名によってだれにも話すな」と命令しました。しかし、「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか」とニ人は、神に従う道を選びます。宗教改革者マルチン・ルターは、その信仰の所信の撤回を求められた時、「わたしはここに立っている。わたしはこうするよりほかはない」と言いました。

 

人間の支配はどんなに強く見えても、一時のものにすぎません、しかし、神さまの支配と力は永遠に続くのです。大胆に御言葉を伝えましょう。

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