永遠の住み家

牧師  原田 史郎

コリントの信徒への手紙ニ 5章1~10節

「地上の住みかである幕屋が滅びても」と、パウロは言います。どんなに元気な人でも、歳を重ねるに従い、人間の体は、歳相応に弱っていきます。しかし、神さまは、その弱さの中にあるわたしたちのために、「天にある永遠の住みか」を備えて下さいました。

 この「永遠の住みか」が何であるかについて、使徒は明らかにしていません。いわゆる暗喩(あんゆ)と呼ばれる表現をしているため、昔からいろいろな解釈がされてきました。その一つに、この住みかは、「復活」であるというものがあります。パウロはここで、二つの住みかについて「脱ぎ捨てたい」とか「着る」という言い方をしています。それは「死ぬはずのもの」である肉体に対して、「(永遠の)命」である復活が対照されていると考えることが出来ます。このことは、わたしたちは、キリストの復活の命を着るということであり、同時にそれは、キリストを着るということでもありましょう。

 パウロは、弱さと欠けをもった幕屋と、天上の完全な住みかをまとうことの二つの間で苦しみもだえていると言います。しかし信仰によって、神さまの与えてくださった霊を知るとき、わたしたちは心強いのです。

 わたしたちが幕屋にあることは、まだ地上に使命が残されていることです。地上にあり天の住みかを待ち望みつつ、どちらであるにしても「ひたすらに主に喜ばれるものでありたい」これがわたしたちの祈りなのです。

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