最初の弟子たち

牧師  原田 史郎

マタイによる福音書4章18~25節

    

 主イエスの呼びかけは率直です。

ガリラヤ湖のほとりを歩いておられた主は、シモンとアンデレが網を打っているのを御覧になって「わたしについて来なさい」と呼びかけられました。ルカ福音書はこのあたりを丁寧に描写していますが、マタイ福音書は、その辺の事情を一切考慮していません。そのために、主の招きは、唐突にみえるのです。

 しかし、よく考えてみれば、わたしたちがキリストに従うときのことを考えると、究極的には、主について行くのか、行かないのか、そのどちらかでしかありません。その中間領域や、「どちらもあり」という曖昧さはないのです。神さまの選びは「わたしについて来なさい」という一言につきるのです。それは、わたしたちの予測した人生とも異なります。いやむしろ、わたしたちの計画した人生設計を突き破るように、主イエスの招きはわたしたちに呼びかけられるのです。

主の呼びかけは「人間をとる漁師にしよう」という約束が伴っています。シモンたちは、生粋の漁師でした。漁のこと、気象や湖の事情、市場の魚の値段には詳しかったことでしょうが「人間をとる漁師」になることなど、思いもよらなかったことでした。しかし主は、あえて彼らを、主の弟子として選び、育てられました。わたしたちも主の弟子として、主の招きと約束に信頼して、日々従ってまいりましょう。

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