この一羽の雀にも

 

牧師 原田 史郎

 

ルカによる福音書12章4~7節

わたしたちは、「使徒信条」で「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」と告白します。ここで、神さまは「天地の造り主」「父なる神」「全能の神」という三つの特長を持って言い表されます。

 

 では「全能の神」とは、どんな神さまなのでしょうか。主イエスが、神さまの全能について言われた言葉が福音書にあります。「人間にできることではないが、神にはできる。神には何でもできるからだ(マルコ福音書9章7節)」と言われました。

この言葉は、その前後から考えると、神様がわたしたちを救いに導くことは、決して不可能なことではないと、いうことです。しかしそれは、神さまが、人間を強制的に救いに入れるということではありません。神さまの善意、憐れみ、愛が、わたしたちの考える以上に、遥かに広く、高く、深いということなのです。

 

 そして、この神さまの無限の愛と善意を表しているたとえ話の一つが、「五羽の雀」の話です。「五羽の雀が2アサリオンで売られているではないか」と主は言われます。1アサリオンは当時の労働者の一日の労賃の十六分の一の価値しかありませんでした。これを日本の賃金で換算すると分からなくなります。今、世界で貧困層と呼ばれる人々の水準は、一日約1.5ドル位で生活しているといわれます。ですからその少し上の3から5ドルの十六分の一が1アサリオンだと考えられるでしょう。五羽の雀になっているのは、二羽で1アサリオン、その二組の組み合わせに、値段のつかない一羽が、おまけとして添えられました。そのような、値段をつけてもらえなかった一羽さえも、主イエスは「神がお忘れになるようなことはない」と言われたのです。この神さまの無限の愛と善意によって、わたしたちは覚えられ、神の国に入る救いへと導かれるのです。ここに神さまの全能の意思が働いているのです。

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