油注がれたメシア

牧師 原田 史郎

サムエル記上16章1、6~13節

 

「イエス・キリスト」の「イエス」は名前で、「キリスト」は称号です。新共同訳聖書は「メシア」と、ヘブライ語で表記しています。メシアは「油を注がれた者」という意味です。旧約の時代には、「王、預言者、祭司」の三つの職につく者が、任職時に頭に油を注がれました。

キリストのひな型として、ダビデ王の油注ぎがあります。サムエルは、神さまに命じられて、ベツレヘムのエッサイのもとに赴きます。彼の七人の息子たちは容姿が立派でした。だが神様は「人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」と言われ、そこでサムエルは、末の息子で羊の番をしていた、いわば番外のダビデを呼んで来させました。そのとき主は「立って彼に油を注ぎなさい。これがその人だ」と言われます。このとき、誰もダビデが王になるとは知っている者はいませんでした。油注ぎは秘かに成されたのです。

主イエスの油注ぎも、ベタニアの無名の女によって成されました。わたしたちの罪を担い、十字架に架かられた主は、真にわたしたちの大祭司であります。そして、三日目に復活され、天に昇り、全ての権能をお持ちの主は、わたしたちを守り、全ての必要を満たしてくださる真の王であります。

また、わたしたちが道に迷い、方向を見失ってしまうとき、隠された神さまの御心を示し、導いてくださる真の預言者であります。

わたしたちは主イエスを「油を注がれた者」主メシアとして告白し、救い主として感謝しつつ歩むのです。

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